第三の唇物語1

知る人ぞ知る街、春日部。

その知る人ぞ知る街春日部に、さらに輪をかけて知る人ぞ知るヒップホップ集団第三の唇というグループがいる。


俺らの事である。

俺の唯一所属したクルー。
でも正式には第三の唇はもぐらプロダクション春日部支部になってるから、俺は第三の唇だけど親会社に知る人ぞ知るもぐらプロダクションがいる。

まあゼネコンだね。


ちょっととある男に頼まれて今回からは俺のグループ第三の唇誕生秘話について語っていこうと思っています。


次のライブは5月までないのでね。









前々回の回想という記事の中で俺の初ライブの時の事を少し書いたのだけど、その初ライブで盛り上がったのに気をよくした我々は自分達でイベントを打ってしまおうとすぐに考えた。

多分当時は単純に、人に頭下げてライブ出させてもらうのが嫌だったのだろう。
それなら自分達でやってしまおうという。
そして土曜日にパーティー打っちゃえばそれなりに人は入るだろうと思っていた。


今思うと非常に安易で怖い考えだった。





ちなみにその当時は多分二十歳になるかならないかの頃だった。
俺はまだ未成年だったな。

で第三の唇ってグループでもなくて俺とDJがヤーボ。
でサイドに板垣氏と後藤君て感じだった。(まだ四人)


何も考えてなかった。
イベントを打つというのを何も考えてなかった。

何故なら場所は鴻巣アクアを選んだからだ。
明らかに春日部からめちゃくちゃ遠い。

当時免許センターに免許試験を受けに行った以外では一歩も踏み入れた事のない街だった。

駅からも歩けるような距離じゃないというのもイベント当日に知った。

そもそも浦和ベースとかでやろうという考えが何故頭に過らなかったのか。

これは今でも不思議でしょうがない。



そしてフライヤーのデザインをナギの知り合いに頼んでフライヤーを作った。

もう今は現物は残ってないが、それはそれはオドロオドロしいフライヤーだったのを記憶している。
というのも、なんか人間と羊がフュージョンしたようなのが書いてある謎のデザインで、イベント名「caution」が書かれ、出演者の欄が
MC SUKUN

DJ YABO
DJ 510
と書いてあるだけだったからだ。

誰がそのフライヤーを見て遊びに行こうと思うのか。
今考えても鳥肌が立つイベントだった。



DJ510というのも後藤君の事だが彼は当時DJプレイなど一切できなかった。

なんなら当日もヤーボにレコードを借りていたはずだ。


そしてMCに載っていた俺も当日、勤めていた職場での飲み会にはまってしまいイリーガルな環境だった為に、「帰る」と言い出せずに0時まで渋谷にいたのだ。

渋谷から鴻巣までタクシーで向かったのだ。2万かかった。

俺は3時頃鴻巣アクアに到着した。

俺はその日やろうとしていた曲のリリックをさっきまでのタクシーの中で覚えていた。
でも覚えられなかった。

「やべーなー。やる曲覚えられなかったよ、どうしよー。。」
と思いながらアクアに入ったら3時なのにもう音は止まっていた。


ヤーボがフロアで1人レコードを片付けていた。

俺は
「ヤーボどうした?何で音止まってんの?」
するとヤーボは
「店員に客が全く入んないからめっさ怒られたわ。続けてても意味ないから止められたよ。」
と悲しげに言った。
そして
「ママさんバレー帰りのマダムが四人来てたよ。」
と彼は続けた。

二十歳になったばかりのヤーボが七十歳くらいのお爺ちゃんに見えた。



地元から来てくれた友人達は全員控え室で寝ていた。


そして1人が起きて
「よーしスークンも到着した事だし帰ろう!」
と言ってみんなで寂しく帰った。

赤字の精算はヤーボがしてくれた。
当時彼は月収100万くらいあったから。

帰りは岩槻のすき家でみんなで食って帰ったんだっけかなぁ。


当たり前の結果っちゃあ結果なんだけど謎に打ちのめされた夜だった。

そしてこの日に
「デモCD作ってあちこち渡しに行こうか?」
と、ヤーボと話した。



続く。
次回は歌舞伎町でライブ、護衛用に瓶を装備。の巻
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by kuchibuil4951 | 2013-04-12 23:20