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春日部鮫史10 焔

そして初めてのバトル優勝からそのままスターダムへとのしあがっていくかと思われた俺のヒップホップライフ。

そう甘くはなかった。

ZEROでのバトル優勝によって賞金、次回のライブ権、あとは3ON3バトルへのエントリー権が手元にやってきた。

3ON3もまたバトルに出始めた時から憧れた舞台であった。
あの小手先のテクニックだけじゃ勝てない雰囲気。
本物のバイブスが試される現場。

気合いが入る。

俺とトクと板垣氏で臨んだ。

予選はナイトフルメイカーズと当たった。
というかくじ引きの順番があって、3ON3はくじ引きの順番でトーナメント表に自ら好きな場所に名前を書ける。これを客前で行う事で会場の熱がまたあがる。
で俺は確かくじで一番か二番を引いたからなんとなく適当なところに名前を書いた。
すると次名前を書き込むナイトフルのトトロくんが速攻で俺の横に名前を書いてきた。

うわーーなめられてるーーー!
なめられてますよーーー!
三人抜きする気だよーーー!ってなった。

でも最初から俺も全く同じ考えでナイトフル狙いだったから良かった。

なんとか勝ったが、この日は板垣氏が先鋒だったのだがダースさんに試合前に名前を聞かれて彼は
「板垣氏!板垣氏!」
と答えていたのだが、回りの音が大きすぎて聞き取れなかったのでしょう。
ダースさんが
「では第一試合!!先鋒イターキー!!」
となってしまった。
これは結局DVDにもイターキーのまま収録されている。
イターキーと呼ばれた瞬間にフロアのKMCが
「イターキーってなんだそれーーー!!!」
と叫んでいたのを鮮明に覚えている。



結局予選勝って喜んでたのも束の間、後日行われた本選ではおじさん達は綺麗に三人抜きされた上にこの夜のBESさんのラップを見て
「真面目に働こう。」
ってみんなで話した気がする。

そして翌年2009年はUMB埼玉に出たがTKda黒ぶちに延長の末敗戦。

でもなぜかこの年のUMB REVENGEに呼んでもらって準決勝までいけた。
ドタマとニューヨークがテーマでバトルしたのをよく覚えてる。

あと後日、このrevengeでの夜の俺を2ちゃんねるで叩いてる奴がいるというのを聞いて見てみた。
うわさのガジャイモすーくんって書いてあった気がする。
あと顔が基本的に気持ち悪いとか。

先行が不利なルールだからスークンが勝ってんのが納得いかないとか。
俺はあの日一回戦以外は全部先行で勝ってるわ!この糞顔面団子共が!
あれ書いてたの大宮サイファーの誰かだろ!

あ、大宮サイファーで思い出しました。

あれは何年前かな。

わかんないけどとある日、俺は仕事を終え家に向かって帰ろうとしていた。
俺は川越という街から春日部まで帰るので毎日大宮を経由して帰っているのだが、たまたまその夜が第四土曜だった。

川越から大宮に向かう電車で八文字に偶然遭遇した。
「これから大宮サイファーなんすよぉ!スークンも行きましょう!ね!行きましょう!」
と彼は言った。

俺は当時大宮サイファーでも仲良く喋れるのはe.k.yと八文字しかいなかったのもあったし少し嫌がった。
あの周辺には嫌われてると思ってたし。

でも八文字は
「いやぁ!スークンが来てくれたら大宮のみんな超テンション上がると思いますよー!この前はTKが来てくれてメチャクチャ皆喜んでたんですからー!」
と俺を乗せて、俺も乗せられて初めての大宮サイファーに行ってみる事にした。

到着した。

俺が行ったら喜ぶって言うから。

普段サイファーしないのに。

テンション上がるだろうなーって言うから。






俺なんかでテンション上がってるヤツは一人もいなかった。


皆俺をチラッと見てすぐにサイファーしてた。

そのチラッと見るレベルも、なんか寝室のドアを開けたら空気圧の関係でリビングのドアがパタッとしまった時のリビングのドアを見るくらいのレベルだった。


空気圧か。。。みたいな感じで。


悲しかった。

e.k.yだけ挨拶に来てくれた。

こんな辱しめがあっていいのかと俺は拳を強く握った。

八文字はもう皆と輪を作ってサイファーを始めている。


今は勿論仲良いよ。
仲良いと俺は思ってるよ。
大宮サイファー。


2010年のUMBは埼玉がスケジュール上出れなくて千葉に3年ぶりに出た。
物凄い空気だったのを覚えてます。
ホサカ。
一体誰だったのだろう。

2011年は埼玉が準予選から本予選になった年。
気合いも入ってた。
リハーサルのエントリー者説明の時からMUSSOさんが緊張した面持ちで
「今年の埼玉は一回戦から潰し合いが多いです。」
と言った。
一回戦から焚巻。
フイーーーーッとなった。


そしてバトル開始して俺の番が来たときに俺は直感で感じた。
一本目でどんなに俺がかましても絶対に一回は延長になると。
生理的に無理系MCとして長年やってきた俺にとってはこれくらいは予想出来た。
そして一本目が終わってオーディエンスは俺にあがったが陪審員判定で相手にあがる。

予想通りだった。

あの瞬間の集中力を持ち続けていれば。。。


あとはあの日は普通にエイジさんに負けてたと思う。
なんか会場からの情けがあったね。

決勝は裸武。
何を言ったかは全く覚えてないけど延長までがむしゃらにラップした。
負けた。

またも決勝での延長での敗北。

悔しかったな。

結構この敗戦ショックは引きずってた。
この日の朝方のオロカモノポテチの奇行までは少なくとも引きずってた。
「ねぇーー?ななちゃんねぇーー??」
ってやるまではショックだった。


そしてここからフリースタイル出来なくなる病にかかった。



この年もREVENGEに出たが、その病の影響で死ぬほど滑った。
会場には板垣氏が来ていて、板垣氏の仕事の若い衆が生でバトルを見てみたいと言ったらしく、なら友達が出るから連れてってやるとその子を連れてきていた。

負けて板垣氏のとこに行くと
「スークンのバトル観てたら二人で顔ひきつっちゃったよ。」
と言われた。

2012年はUMBは埼玉に出たんだけど二回戦くらいで過去何度目かわからないくらいTKとの対戦で負けた。

そして個人的に完全にここでバトルに対して1つ区切りをつけた。

熱が冷めたとかでは全くないけど。


何年も出続けてやっとわかったのがバトルに俺は向いていなかったのだ。
あとは戦慄バトルに来る女性ファン達に嫌われたのもある。
女性にわざわざ嫌われに行く理由もないよね。


2013はUMBはエントリーせず。

今年はアルバム出すからそれが一段落するまでは今のところ全部バトルの誘いは断ってます。



話がだいぶバトルで逸れたね。

自叙伝だから。

次回からはまた2007年頃に遡ります。

by kuchibuil4951 | 2014-05-08 11:01