春日部鮫史9 成長

そして2007年からはとりあえずバトルがあるという情報を聞いたらエントリーしまくっていた。
俺はパソコンを今もだけど昔から持ってないので友人からバトル開催情報を聞いたりクラブで知ったりしてた。(先日ドタマは電話で、俺がパソコンを持ってない事に驚いていた。あのFacebookの更新は携帯からやっているのか?と)


ライブがしたかったのもあったので池袋bedでこの年から始まったダースさん主催のZEROに目をつけた。
1回目は1月だったのを覚えてる。
バトル初勝利はこの夜だった。相手はわからないけど。
二回戦で灰色に負けた。


そして、KSKB NIGHTのバトルにも参加した。
ここは今思うと何気にゴツい面子が揃ってたね。

磯友なんか無敵状態の頃だしボロもケムケム兄やんももぐらプロもZORNもたまちゃんもいっぱいいたね。
この時には知らなくて数年後に誰かに教えて貰ったんだけどガッティとかKNICもいたみたい。

俺はここでは一回戦でマッキーさんとの血で血を洗うしのぎの削り合いを制したが次でZORNにぼこされる。
というよりかは歓声の時点でマッキーさんに負けてた気もする。

決勝は磯友vs鮫島だったなー、面白かったのを覚えている。



磯友とはこのあとの二回目のZEROの決勝で当たって負けた。
この日よく覚えているのは、ゆうまと一回戦とかで当たったんだけど、彼がバースの最後の小節で
「このブサイクベートーベン!!」
と言ってきた事。




!?

??


!!?????????
ってなったのを覚えてる。
あの言葉は七年経った今でも覚えてるし、それを生で観てたヤーボも未だに覚えてる。





ゆうま、ありがとう。





バトル出てるとたまーに言われて傷つく時あるんだよね。

これは去年の話だけど藤沢のバトルに出た時にMEKAくんと当たったんだけど、先攻でMEKAくんが
「俺もあんたもゲテモノみたいな扱いされてるけど!」
みたいな切り込み方できた時があった。







!!

!!??!


!!!!!!!!!!!!!!!
ってなったのを覚えてる。
そうだったんだ……ってね。









でUMBはこの年も埼玉には予選が、まだなかったから千葉に出た。
水戸って手もあったんだけど仕事で行けなかった。
でもこの水戸にはジアンサーとバーバーがエントリーしてバーバーがベスト8でジアンサーが初めてのバトルでBEST4だったみたいで俺としては刺激を受けた。

でも数日後にその水戸のバトル動画を見て愕然とした。
ジアンサーの
「これは言葉のチャンバラ、お前はウッチャンナンチャンの南原には…………似てないっ!」
というライン。
ライムになってないし、そもそも似てないなら言わなくてもいい事だ。
それを言われた相手も最初あたふたしてた。

あとは水戸に応援に行った板垣氏やノガミ達から電話があって
「てっちゃん(バーバー)がヤバいよ。。。ベスト8入ったからかかなり有頂天ホテルになってるよ。。。」
と。
しばらくの間てっちゃんが水戸のあの夜から有頂天ホテルになっているとの話が地元で広まった。


まあベスト8ってもたかが二回勝ったってだけなんだけどね。




そしてその水戸から数ヶ月後、今度は俺も含めた第三の唇総出で千葉にエントリー。(ナギちゃんだけ辞退)

決勝の延長でCOBA5000に負けた。

でもこの時はあと一歩って感じがしなかったな。
あの人の壁の高さを痛感させられた。

この日は天才ボロもいたし極悪童士ことチャパもいたね。

あとはジアンサーの一回戦での
「ここは柏WATER、俺は馬渕モーターのようにエンジン全開ー」
みたいなラインは春日部チームだけぶち上がってた。
柏のお客さん達は錆びた釘を見るような目で彼を見ていた。






でそこからも色々とバトル出て翌年2008年はUMBにも埼玉予選が出来たんだけど俺は仕事の夜勤と重なりエントリー出来なかった。
そのかわりに埼玉予選が東京準予選Aだったのもあり逆サイドの東京準予選Bにエントリーした。

俺の中ではどうせ日本一目指すんだから何処からエントリーしても同じだろって感覚だったので。

二回戦で負けた。



で俺はこの日からバトルやフリースタイルへの考え方を改めた。
それまでは勝てればある程度は適当な事言ってもいいかなと思ってやってた部分もあったけど、この辺から本音での表現にこだわった。
だから勝ち負けにもそこまで執着することはなくなった。


ディスするならそれなりの覚悟を持ってラップしたしその覚悟が持てない時はディスはしなくなったし。


例えば
「お前をボコボコにしてぶっ殺して埋めてやる」
って言われた相手にバトル終わって握手求められても素直に握手出来ないでしょ。
もしかしたら握手した手を引っ張られてそのまま飛びつき腕十字とか決められちゃうかもしれないからね。で最終的に殺されて埋められちゃうかも知れないのに。
エンターテイメントを口にするならそれなりに面白い事を言えと思います。






その考え方を変えた直後の池袋bedでのZERO。
もうこの時で何回目の挑戦だったかな。

初めて優勝する事が出来た。

鳥肌立ったよ。

ヤーボも泣いてたよ。

本当小さなバトルでの優勝、世間の人からしたら興味もなければ耳にすることもないような小さな小さなバトルの優勝だったけど俺にとっては世界一幸せなのは自分だと思えた瞬間だった。



次回、バトル編最終章。
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by kuchibuil4951 | 2014-04-30 09:43

春日部鮫史8 MCバトル編

UMBのDVDを見てフリースタイルに目覚めた。

その日から俺と板垣氏とか後藤くん、何故かDJのヤーボも一緒にフリースタイルを始めた。

地元の大きい公園でヤーボが適当にインストをCDに焼いてきてそれをカーステで爆音にしてそれこそ週に四回とか集まって夜中までフリースタイルやってた気がする。
そしてその流れに乗って桐の街のリビングレジェンドことジアンサー(mixiのジアンサーコミュニティは神。まだ残ってるのかな。)も一緒にフリースタイルをやり始めた。
チャンテツことバーバーもいたし、ナギも。


この頃になんとなく後藤くんの顔を見ていてグループ名を決めた。

第三の唇。



第三の唇という名前に対し2006年当時は他の人からは
「サードアイ的な感じっすかぁ~??」
とか
「マキュウの第三の忍者とか関係あるっすかぁ~~??」
などと言われる事が多かったがどれも近くて正解と言ってあげたかったんだけど完全に芯を食っていたものはなかった。


名前の由来は、後藤くんの上唇が冬になると乾燥してパックリと割れて、彼の唇が3つに見えたからだ。


地元では彼のその3つめの唇はオーロラみたいなもので貴重な気持ち悪VIEWの1つとされていた。


そして毎日フリースタイルしまくった。

時にはその場のほんの六人七人くらいでバトルをやったりした。
カスカベットMCバトルという冠が付いていたんだけど、当時は謎にヤーボが勝ちまくっていた。

あとはその当時とある情報を耳にする。

春日部のラッパーでバトルで凄い強い男がいる………と。

かなり名前を売っている………と。

しかも眼鏡をかけている………と。


のちに出会う事になる。
その男。







そして俺達は俺達で皆で2006のUMBの予選にどっか出ようぜということで盛り上がった。
春日部から近い予選は東京か柏だった。


東京はやっぱ人殺しとか犯罪とか凄い多い街だから俺は千葉の柏の予選に出る事にした。

エントリーした。

俺以外の唇メンバーは誰もエントリーしていなかった。





でもなんか俺は当時から、優勝できるんじゃないの?って謎に自分に自信がそこだけはあった。
バトルっていっても言葉のやり取りでしょ?そこで俺負けないでしょみたいな。
当時は合コンでもモテはしなかったがスベッた事はなかったし、人生で出会った中で一番面白い人かもって合コンだけで三人くらいに言われた事もあった。

そんな俺が負けないでしょって。




結果は電光石火の一回戦負けだった。
延長だったかな。

相手は音師って人だった。
その日以来その人の名前を聞いた事なかったけど負けた。

今でも覚えてるのが相手に
「心臓バクバクなのがバレバレー」
と高い声で言われた時に、俺は確かに初バトルで死ぬほど緊張していて心臓がバクバクだったので
「なぜわかった!?」
と更に心臓がバクバクした事だ。



まあ初バトルは結果惨敗。


ただ、その後バトルをずっと観てたが、俺に勝った音師って人は二回戦も三回戦も相手に
「心臓バクバクなのがバレバレー」
とラップしていたので彼も多分心臓バクバクだったんだろうなと後から思った。
その言葉に動揺してしまったのが俺だった。



この日の負けは死ぬほど悔しかった。
めちゃくちゃ悔しかった。
地元からたくさん応援も来てくれたのに恥じかいちゃって惨めだった。



でも負けた後にナギから
「今日出てたMCの中で一番スークンのスニーカーが綺麗だったよ。」
とどう返したらいいか未だに答えが出ない慰めもあった。







でも、でもMCバトル。
なんかイケる気がした。


いけそうな気がするーーーーー!

あると思います。








次回からバトルMCスークン編です。
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by kuchibuil4951 | 2014-04-27 18:49

春日部鮫史7 氷河

そして遊びで皆でリリックを書いたりしていると18歳の終わり頃だったかな。

板垣氏の彼女、まあ今の彼の嫁さんから
「アタイの地元の友達がDJやっててイベントに出てくれるラッパー探してるって言ってたからアタイも言ってやったんだ、アタイの彼氏の友達がラッパーだって。」
しかもライブどころか人前でマイクすら握った事もないのに、ちょいちょいライブやってるみたいだよ的なノリで彼女は話を進めていた。


そしてなんやかんやの渋谷FAMILYでの初ライブへと繋がる。
この辺は以前にもブログで書いた事があるので内容が重複してしまうので多少割愛させてもらうが、イベントのリハーサルで回りに知り合いが誰もいない四面楚歌状態なのに板垣氏からマイクチェック代わりに
「ツルミ、ツルミ、オマ◯コツルミ」という当時世界で俺と板垣氏とか四人くらいしか知らないギャグをやらされた。

その時の周囲のオーガナイザーやクラブスタッフ、出演者全員が俺の事を死んだカマキリを見るような目で見ていた。

そして俺は一部のライブで10分だった出演時間をごねて15分にして初ライブをした。初ライブだったが故に若いラッパーとかは10分というタイムテーブルが普通な事をわかっていなかった。
むしろ今でも10分とかでやるし。

ちょっとだけ生意気だったかな。

そしてライブを終えパーティーはここからというところで俺達はオーガナイザーにもう帰るよという事を伝えた。

2時ちょい前だったかな。

オーガナイザーはびっくりしていた。
と同時に、水分を米が全部吸っちゃったお茶漬けを食べてるような表情してたなー。
「まじで帰るんすか??」
とか言ってたもんなー。
俺とかはその辺の感情はドライだったからサッサと帰った。

当時あそこで出てた人達は今も続けてる人いるのかな。
名前は二人しか覚えてないけど。




そしてそのパーティーでのライブで謎にかなり盛り上がった事に気をよくした 我々は今度は自分達でパーティーを打とうと計画を企てる。

はっきり言って当時はこのヒップホッ プの業界というかなんというかそういうパーティーを打つノウハウが全くな かった。 とりあえず土曜日の夜にやっとけば人 なんて黙ってても入るだろうと思って いた。

現実は厳しかった。

フライヤーに記載されているのは MC SUKUN

DJ YABO
DJ 510

これだけだったからな。
しかも鴻巣AQUA。
地元が近いわけでもなんかゆかりがあ るわけでもなかったのに。今考えると完全にこのフライヤー見ても遊びに行こうとは思わない。

この三組だけのシンプルな並びで客入れるのはDJ KRUSHさんの名前がのっ てないと無理だろう。
SUKUN,YABO,510、誰?ってなるからな。

そしてスネ毛が全部抜けるほど滑った パーティー。
しかも俺は絶対外せない仕事の飲み会 があって渋谷から夜中タクシーで向かったが到着は3時頃だった。
タクシー代は二万かかった。

あの夜は結構こたえたなー。 ちゃんとパーティーは告知とかしないと駄目なんだってその夜に初めて知った。


それから数ヶ月はラップの事を考えると、なんか背中のどこかが痒いんだけどその痒いポイントがなかなか見つからないって病にかかったなー。

でもなんだかんだでまた折れた心が元に戻ったところで今度はヤーボ宅で録ったデモCDを持ってパーティーのオーガナイザーに渡しに行ってライブをさせてもらうという作戦に打って出た。

そこで出会ったのが何を隠そうケニーだった。
ケニーたちは地元は千葉だったんだけど春日部で根を張って活動してた。

そしてそのケニーたちのパーティーにレギュラーで出してもらう事になった。

同時に新宿IZMという今はもうない箱でも平日水曜日だったんだけどレギュラーが決まった。

でもどっちのパーティーとも俺達の人見知り病が出てしまってうまく馴染めなかった。
だから当時一緒に出てた人とかは誰がいたかとかほとんど記憶にないんだけどケニーのグループのNEXT SUMMITだけは群を抜いてライブが巧かった。

あと1つ記憶してるのはSFPという四人組くらいのグループが出ていてその人達のライブを見ながらヤーボと
「SFPってなんの略かな?」
「シコ踏んでポンじゃない?」
という会話をした事かな。


春日部も新宿もレギュラーと言いつつすぐにフェードアウトしていった。


そこからは人のパーティーに出るのも嫌になっていってひたすらヤーボの家で曲だけを作っていった。
この時期はたぶん21歳から23歳くらいだったと思う。

今思うと本当に各方面に申し訳ない事してたなぁと反省する。


このままこの性格だからずーーっとライブする事もなく終わっていくんだろうなとも思っていた。



そんなある時板垣氏が買ったUMB2005のDVDを見てまた全てが変わった。
今フリースタイルってこんな風になっちゃってんの??ヤベーーー!って興奮した。

ここから当時4小節フリースタイルするのがやっとだった俺がフリースタイルを磨く事に没頭し始める。




次回、ジアンサーがゲームセンターでエアホッケーをやっている女の子のスカートの中を寝そべりながら覗き、怒った女の子に不良を呼ばれ詰められかけて
「誠意を見せるか、警察に捕まるかどっちがいい?」
と言われ神のスピードで
「警察がいいです。」
と答えて警察に捕まって高い階段を両脇を警官に掴まれながら降りてくる様がまるでマイケルジャクソンの巻です。
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by kuchibuil4951 | 2014-04-23 19:27

春日部鮫史6 スタート

そうそう、そして俺は17歳くらいの頃から遊び半分でリリックを書き始めた。

当時はRHYMESTERが凄い好きだった。ゴリゴリの不良のハードなライフスタイルを歌詞にしたヒップホップよりかは、ユーモアのある誰もが楽しくなれるようなラップをしたいと思っていて、そういうリリックを書いていた。

でも当時は人前で、ましてやクラブでラップするなんて想像もしてなかったし、する気もなかった。
何故なら知らない人と知り合うのが嫌だったから。


がしかしある時の春日部TSUTAYAでの出来事をきっかけに事態は変貌を遂げていく。


18歳の時。
この歳になると回りの友達が車の免許をどんどん取り始める。俺は早生まれだったので免許を取るのは遅いほうだった。

そしていつも皆で免許を取った奴の車で行くあてもなく地元を徘徊していた。

毎日毎日あてもなく。
基本的に当時はみんな金も持ってなくてメシを食いに行くわけでもなくカラオケに行くわけでもなく。
ただただ毎日毎日あてもなく地元を徘徊していた。
そしてそんな春日部で免許を取りたての奴等が困ったら行き着く最後の場所がTSUTAYAである。


理由は多分駐車場が広いからだろう。

免許取りたての奴等は広い駐車場を好むからね。


そしてその日もいつもの通り行く場所がなくなった僕ら葛飾中学チームは春日部TSUTAYAに行った。

特に何をするわけでもない。

その日も特にいつもと何も変わらな……いや誰かいる。
店の入り口の前で誰か踊ってる。

完全に車から爆音で流れるDABOの拍手喝采のREMIXの方の曲に合わせてその車の前で踊ってる奴がいる。






関口だった。

踊っていたのは高校の同級生の関口だった。

そしてそれを踊らせてる黒のオデッセイの車内には後藤くん、板垣氏、ヤーボが乗っていた。
隣りの豊野中学チームだった。

昔は色々あって仲の悪かった中学チーム。

当時は関口は知っていたけど他の三人は顔や名前は知っていたけど話したりした事はなかった。


にしても異様な光景だった。

三人は車に乗り込んだままの状態で関口だけを車の前に立たせて拍手喝采で踊らせる。
異様な光景。


そして俺はその光景に呆気にとられていたら関口に車の前に引っ張られた。


そしてまたオデッセイから曲が頭から流れた。
DABOの拍手喝采のREMIXだった。
フックがオリジナルよりテンションの高いREMIXの方が流れた。









気がつくと俺も踊っていた。

ただがむしゃらに。

当時は俺より面白い奴なんていないと思っていた俺は、この隣の中学の奴等にウケたいが為にただがむしゃらに踊っていた。

そして、ひとしきり踊り俺は自分の中学の友達とその場をあとにした。
後藤くんも板垣氏もヤーボとも会話はその時は交わさなかった。



それから数日後、矢沢という友達から連絡があり「板垣がエロビデオ貸してくれって言ってるけど?」
と伝えられた。
喋ったこともない人にエロビデオ貸してくれって言うのも貸してもらえると思ってるのも凄いなと思った。

でも後にわかる、俺も板垣氏も極限の人見知りだった。

あのTSUTAYAでの拍手喝采から互いに何かが変わったのだろう。

そしてヤーボからも連絡があって
ラップやってみない?と誘われた。

ここから全てが始まる。

後藤もなんとなく仲良くなっていく。




そしてかなりの頻度で板垣氏のアパートに入り浸る。
夜中から朝まで俺と板垣氏と関口でリリックを書いたりしていた。

最初は1小節ずつ回していったな。
リリックは今も忘れない。

関口が初っぱなに
「ルイヴィトンからお前のヒント」
という謎のラインを俺にパスしてきた。
俺は、ルイヴィトン好きオスギとピーコ、と書いて板垣氏に回した。

彼は
アンパンマン可愛いぜーでもお前の方が可愛いぜー
というリリックを続けていた。





一生有名になることはないだろうなとその時確信した。


次回はDJヤーボ、大宮のクラブで客にウエッサイかけてよーと言われてバックストリート・ボーイズをかけるの巻です。
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by kuchibuil4951 | 2014-04-21 19:33

大粒FIGHTーーー

遅くなりました。
ちょうど1週間前は池袋knotにて大粒FIGHTお疲れ様でした。

相変わらずいい雰囲気のパーティーでした。

リハーサルから行って途中適当に飯でも食いに行こうと思ってたけどなんだかんだ見所多くてcloseまでずっと居座ってました。

バトルは初めて観る人も多かった。

そして何より驚いたのが皆の上手さの成長。

前見かけた時にはビートも外してたり内容が的を得てなかったりしてたMC達が見違えるほど上手くなっていていて勝手な親心みたいなもので少し感動していた。

あとエントリーしなくて良かったと思った。
負けただろうな。

e0271116_22441818.jpg

俺が当日撮影した唯一の写真。

左が鮫島ハードコア。7年くらい前に関東圏でバトル出てた人ならまあ鮫島という名前は聞いた事あるだろうというくらいの男だった。独特のオーラを醸しだしていた。伝説の男。

右が1horse。1人ボーリングやマラソンで有名な秦野系メガネ系男子。
この日の彼のライブ凄い良かった。正直凄い感動した。全曲DIS曲でくると思ってたけど予想とは全く逆でそのギャップにも感動した。伝説の男。

DJ YUTA君のプレイも痺れた。
ワクワダム久しぶりに聴いてぶち上がった。

バトルはタマキがU-ROADを倒して優勝。
テクニカルな二人のバトルでした。

エイジさんがバトル前に公園で話していたらかなり荒ぶってて対戦する奴を殺すんじゃないかって勢いだったけどなんとか大丈夫だったみたいで良かったです。

俺は今回はDJ YUKIHILLとの新ユニット「ボンボヤージュ エゴイスト」の初ライブで臨みました。
ユッキーは一回伝えただけで段取り覚えてくれるプロ。
いつも通りのライブ出来て満足です。

たまちゃんのライブも上がったなー。

ズルムケマスターズもファッションも含め格好良すぎた。



そして何よりクリさんのバトルの司会進行が嫉妬するくらいうまかった。ノンキさんタイプの進行の仕方で良かった。

最後はDJ YUKIHILLの哀愁の懐メロプレイでテンションが上がりすぎてヤバかった。
イージューライダーからありがとうへの繋ぎ。
痺れた。痺れクラゲと化していた。
ユッキープレイ中に1horseが俺の横に来てそっとおっぱいを触ってどっかに行った。
彼もまたユッキーのプレイになにかを感じたのだろう。


そして終電のある俺はcloseの瞬間に箱を出て帰ろうとしたが写真撮影が始まりこの影響により終電を逃し二時間歩く事になってしまった。

とにかくオサカベさん誘ってくれてありがとうございました。



P.S 鮫島ハードコア、事前に彼の事をオサカベさんに凄い奴が帰ってきたんですよみたいに紹介してエントリーしてもらったのに一回戦で鬼滑りで負けてました。
で神速で帰っていきました。
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by kuchibuil4951 | 2014-04-13 22:35

春日部鮫史5 ドントビリーブザハイプ

そして僕は高校へと進学していく。

僕は元々頭がそこそこ良かった。
なんていうんだろう。勉強しなくてもそれなりに点数取れるタイプの人間だった。
僕が受験した高校は僕の住んでいたエリア、学区でその年の一番か二番くらいに倍率が高いところだった。
同じ中学から仲良かった友達も含め15人くらい受けて半分以上は落ちた。
のちに第三の唇として一緒にラップする事になるバーバーことチャンテツも落ちたし、のちに地元のバーベキュー神と周囲から崇められる事になる遠藤も落ちた。

俺は何てボケたかはもう覚えてないけど受験の面接の時に面接官を爆笑させた記憶がある。

僕は受かった事に喜んでいた。

だが友達は全員落ちていた。



この頃から人見知りを発動させていた僕は一気に不安になった。



でも行くしかなかった。


そしてこの頃、周りの友達のオシャレや、格好いいというものの価値観に対し首をかしげる事が増えていた。

というのも中学の卒業してから高校入学までの春休みの時。
皆で遊ぶ約束をしていて集合場所にそれぞれ自転車に乗って集まっていたのだが、少し遅れてきたサトシが新しいママチャリを買ったようでピカピカの茶色の自転車にまたがって登場した事があった。
はっきりいってただ新しいピカピカなだけのママチャリである。

でもそのママチャリを見て他の友達数人が
「サトシのチャリかっけーー!」とサトシのママチャリを誉め出した。
称賛の嵐。
しかも何故かサトシもちょっと満足気な顔をしている。




俺は冷静に見ていた。
ママチャリにかっけーもダセーもないだろうと。
中学時代からこういう謎なセンス称賛の場面を見たことがあったからなのか本当に僕は嫌気がさしていた。
例えば中学カバンの持ち方の格好いいカッコ悪いとか、ワイシャツの出しかたの格好いいカッコ悪いとか。
いつもくだらないなーと思いながら見ていた。


サトシなんてただ初体験がちょっとみんなより早かっただけである。
だからみんな尊敬してたのかな。


とにかくこの辺りから僕はなんでもかんでもどんな物や格好にもかっけーー!とかダセーー!とか言って価値観をわかちあったり押し付けたりする話題に反吐を吐いていた。



話は逸れました。
高校はまあとにかくつまらなかったですね。
地元の友達もみんなそれぞれ早々に学校を辞めていって僕もその流れに乗ろうとして行かなくなったりもしたんだけど、何故かまた通ってましたね。


この高校では、のちの春日部のギャグ怪人二百面相の関口が一緒だった。
彼は板垣氏やヤーボとか後藤と同じ中学で高校入学当時で言えば敵同士の学校のやつだった。
初対面の時も
「あ?お前どこ中??」
といきなり聞いてきて答えると
「は?◯◯中??駄目だよあそこは!」
と吐き捨ててどっかに行かれたりして印象は良くなかった。

でそこからもあまり仲良くもなかったんだけど一年の最後の方に鎌倉に遠足ってのがあって鎌倉に行った時。

季節は外れてたんだけど皆で海に入って遊んでたら僕はその時にどうやらPHS電話を落としていたようだった。
気づいたのが海を離れて少ししてからだった。
かなり焦った。
もう夕方だったし見つからないなと諦めるしかなかった。


でもその時
「多分さっきの海だろう、戻ろうぜ。」
そう言いながら真っ先に海の方向へ歩きだしたのが関口だった。

そして海に戻り皆を巻き込んで俺のPHSを探してくれた。
関口は海にいた地元のサーファーを「あいつら怪しいな」と睨み付けていた。


結局見つからなかったんだけど嬉しかった。
後日鎌倉警察から落とし物としてPHSは戻ってきた。
戻ってきてすぐにPHSのリダイヤルを見たら拾った誰かに時報にかけられていた。

それから関口とは仲良くなった。







話は変わってヒップホップを少し聞き始めるきっかけになったのは高校の頃だった。

それまではヒップホップと言えば2pacやエミネムとかは多少知っていた。
日本人ならGrateful daysが売れていたのもあったしZeebraを買って聞いたり、スチャダラパー、RHYMESTERとかを知ってるくらいだった。

で高校の友達とカラオケに行った時に友達が人間発電所を歌っているのを聴いて衝撃を受けた。
日本人の曲でこんな格好いいのあるの?って。
それで俺はすぐにブッダの黒船を買った気がする。

そして真似事レベルで紙にリリックを書いてみたりしてた。


でもこの高校の2年から3年の間は地元のしがらみで珍集団に加入する事になってしまって、なかなか辛い日常が続いた。
日々元締めの使いパシリ、事務所電話当番、偽造関係の製作とか気が休まる時があまりなかった気がする。
横浜と大宮の抗争というのに駆り出されたりもあったな。
大宮には埼玉からあちこち多分300、400人くらい集まってたんじゃないかな。
結局なにもなく終わったから良かったんだけど。
隼人って友達が武器がなくて画ビョウを三個くらい持ってたのが印象的でした。
目に刺すって言ってたけど。。。

ヤキいれられる事もあった。
でもこの頃の経験のおかげで人により優しく出来るようになったしイキがる事の意味のなさを学んだ。
別に僕がイキがっていたわけではないんだけど。
ありがたい日々。

でも会えなくなってしまった友達や後輩、逝ってしまった先輩もたくさんいる。
元気でやってるだろうか。



そして高校2年の頃は財布盗難事件が多発していた。
事件を重く見た学校、被害者が警察に通報した事によりそこそこ問題になった。

学校は全校生徒に対し無記名アンケートを取った。
学校内での盗難事件の目撃情報を。

僕は正直犯人を何人か知っていた。
盗った事を自慢してきたから。
でもまあそんなことはアンケートには書かず、犯人でない僕は余裕綽々でアンケート用紙に鼻くそと歯くそをつけて白紙で返してくれてやった。


すると珍事件が。
アンケートが終わった後の休み時間に隣のクラスの友人が僕のところに慌ててやって来た。
「どうしたんだい?」
とその友人に聞くと
「さっきのアンケート、俺の隣の席の女がスークンが犯人だって書いてたの見たんだよ!」



しばらく頭が混乱した。
僕?

僕?

やってないのに??

僕??
となっていた。






さらに珍事件は続き、警察も介入してきた事もあり財布盗難の真犯人が僕のとこにきて
「穏便に済ませたいからスークンからこの財布を◯◯さんに返してくれないかな??俺の名前は言わないでさ。。」
と頼まれ僕はそれを引き受け財布を預かり被害者の女の子に返した。
返したと言ってもその被害者の子とは面識がなかったので、これまた間に正義感の強い友人に入ってもらって真犯人の名前を明かさない事を条件に財布を返してもらった。




数日後、僕がこの財布盗難の犯人になっていた。


え?


僕??


僕が??


良かれと思ってやったのに??


本当に??

僕??


と頭が混乱した。



そして晴れて僕は警察に呼ばれ事情聴取をくらう事になってしまった。




悲しいよねぇ人間って。


この次の日僕は学校で自分の机を45mくらい投げ飛ばした気がする。
5mくらいかな。


僕を犯人に仕立てようとした女の子は慌てて謝りにきたがもう時は遅しだった。









僕の心には悪魔が住み憑いてしまったのだ。

悪魔が言う。
女なんか信じるなと。


悪魔が言う。
ブスは特に信じるなと。




そして休み時間に関口がMDウォークマンを聴いていたので僕はそれを聴かせてもらったら
関口がブッダの大怪我のインストで関口がラップしてる(リリックは原曲のまま、カバー)のを聴いて衝撃を受けて
「これどうやってやってんの??」
と聴いたら
「地元の宮下って奴がDJやってるからそいつんちで録音したんだよ。」
と言われて、関口が何故自分の声の大怪我を休み時間に聴いていたかなんてのはどうでもよくなって、俺もラップしたいと思った。





次回からいよいよラッパー編始まります。
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by kuchibuil4951 | 2014-04-02 13:48